今日は「二十歳の原点」の著者高野悦子の命日。
久しぶりに彼女の日記を読んでみようと思い、
大阪府立図書館へ行ってみた。
しかし、全然彼女の日記は読むことなく、
沖縄戦の集団自決についての記述を
読んでいた。
沖縄戦と、高野の自殺は関係がないよう。
沖縄戦と、現在のぼくの生活は別もののよう。
しかし、本当に別だろうか。
同じようなところはないだろうか。
沖縄戦で皇民化教育され、
名誉を取得しそこなった人が、
逆に命拾いをしてしまった。
天皇の軍隊は、
沖縄の人々に自殺を強制しておきながら、
自分たちは自殺せず、生き延びていた。
高野も自殺せずともよかったのかもしれない。
失恋があっても、学生運動が行き詰っていても、
自殺しなくてもよかったのかもしれない。
別の新しい道があったのかもしれない。
ぼくにしても、同じだろう。
とかくすぐいじけてしまい、
希望を見失ってしまうが、
本当に希望を失うべきものだろうか。
本当に別の道がなにもないのだろうか。
本当は別の新しい道があるのではないだろうか。
アメリカ軍が来たら、
男は八つ裂き、女は強姦され殺される、
と天皇の軍隊から教えられていた。
アメリカに占領されるのはよくて、
中国に占領されるのはだめだ、
といった考えを、先日ぼくのブログに、
なんの疑いもなくコメントした軍国主義者と
なんら変わるところがない。
ただ目の前の表面的なことしかみず、
そのなかで、どれほどの人々が殺されていくのか、
そのことを考えようともしない。